ネタバレ! 小説と映画の感想‐青葉台旭

小説と映画のネタバレ感想が書いてあります。メインのブログはこちら http://aobadai-akira.hatenablog.com/

ネタバレ感想。映画「ザ・ボーイ~人形少年の館~」を観た。

*ネタバレ有り

とても惜しく、残念な映画だった。

それは作り手たちの責任ではない。

日本の配給会社の宣伝部の責任だ。

google playの予告編から引用……「先入観に騙される、ジャンルスイッチムービー」

おいおい、予告編でそういう事を言っちゃったらお終いだろう!

時々、日本の配給会社は、ポスターのレイアウトやキャッチコピーなどで盛大にネタバレをすることある。

この映画も、その失策をやらかしていた。

予告編に「ジャンルスイッチムービー」などど表示してしまったら、その言葉と序盤の展開だけで「ああ、そういう事ね……」と感づいてしまうではないか。

配給会社は、とにかく客に入ってほしいと焦(あせ)るあまりに、映画そのものの内容の評価を落としている。

本末転倒だ。

いや、配給会社の気持ちも(多少は)分かる。

「映画の内容を評価するも何も、まずはお客さんに入ってもらわなければ何も始まらない」

「ネタバレだろうと、酷(ひど)いタイトルだろうと、とにかく宣伝第一、インパクト重視、まずは強烈なアピールで少しでも多くの人の目に止まらなければ」

こんな気持ちで、日々、原題とは似ても似つかない酷いタイトルを付け、最大の「売り」を堂々とキャッチコピーにしたネタバレ全開のポスターや予告編を作っているのだろう。

しかし、作品内容を貶めるような宣伝の仕方は、めぐり巡って自分の首を絞めているのではないだろうか。

今日の日銭ほしさに、将来の評価を質草に入れて借金をしているようなものだ。

最終的には誰も得をしない。

そんな宣伝の仕方は今すぐ止めるべきだ。

序盤が典型的な心霊ホラー展開で、しかも予告編で「ジャンルスイッチムービー」と言われれば。

ああ、これは心霊ホラーと思わせておいて途中から違うジャンル……たとえばミステリーとかサスペンスになるんだな……心霊現象に見せかけた「トリック」を使う犯人が居るんだな……と、分かってしまう。

しかも、ご丁寧に予告編には、壁に造り付けられた鏡が「裏側から爆発する」シーンや、ヒロインが「壁の裏側から」部屋を覗くシーンが出てくる。

その予告編が頭の片隅に残った状態で映画を観始めると「少年の魂が人形に乗り移った」げな演出、さらに「その人形が別の部屋にいるヒロインたちの会話を盗み聞きしている」げな演出が、これ見よがしな感じで出てくる。

もう、この辺でピンと来てしまう。

ああ、これは「いかにも人形が盗み聞きしている」ようなカメラアングルだが、実はカメラの外に「現実の犯人」 が居て、すべての怪現象は、そいつが人形の仕業に見せかけているんだな、と。

そして、さらに予告編の「壁の裏側」シーンを思い出し、また、ピンッと来る。

ああ、この屋敷は壁が二重構造になっていて、壁と壁の間の秘密の通路を使って、屋敷のどんな部屋へも、誰にも知られずに行けるんだな、と。

あんな予告編じゃなければ、意表を突かれて、もうすこし高い評価になっただろう。

「ジャンルスイッチムービー」の意味は、最初は心霊ホラー → 最後はスラッシャーだった。

つまり、最初は、十何年前に死んだ少年の魂が人形に乗り移って怪現象を起こしていると思わせておいて、実は、その少年は生きていて、何十年ものあいだ屋敷の中に張り巡らされた秘密の通路の中で暮らし、凶悪な猟奇殺人犯に成長していた……という展開だ。

猟奇殺人犯に成長した少年は、ご丁寧に人形を模した仮面を被っていて、まあ、これは当然ながら13日の金曜日のジェイソンや、ハロウィンのマイケルを露骨に連想させる。

ネタがバレてからは典型的スラッシャー映画的展開、つまり「精神は少年のまま、肉体だけが怪力男に成長してしまった殺人鬼にヒロインが延々追いかけられる」というだけの話で、有りがちにも程がある展開だ。

しかし、有りがちな展開のわりには緊張感が持続するという意味で、なかなかの演出の手際だった。

これで、予告編でネタバレせずに、本編でネタが明かされた時に本気で驚けていれば、なかなか良く出来た作品だなあと思っていただろう。

しかし、最大の売りである「心霊現象と思わせて、実は秘密の通路を使ったトリックだった」というネタが機能しなければ、単なる「前半ありがち心霊物、後半ありがちスラッシャーもの」な映画でしかなく、見終わった後に非常に残念な気持ちになってしまった。