ネタバレ! 小説と映画の感想‐青葉台旭

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ガンダムの「ジオン」とは、「シオン」の事だった

今さらだが、機動戦士ガンダムに出て来る「ジオン」が、ユダヤ人のイスラエル回帰運動を表す「シオン」の捩(もじ)りである事に気づいた。

確証があるわけではないし、またアルファベット表記だと「Zeon」と「Zion」で一文字違いなのだが、富野由悠季監督がユダヤ民族運動の象徴である「シオン」に関連付けて「ジオン」と名付けたというのは、充分に有りうる話だと思う。

宇宙移民と地球人

宇宙移民の末裔である「スペースノイド」は、宇宙に捨てられた賤(いや)しき民であるとして地球連邦から差別を受けているという基本設定が、ガンダムの世界観にはある。

そのスペースノイドたちが、「宇宙に住む者の中にこそ、進化した新たな人類が出現する」というニュータイプ論を得て「我々スペースノイドこそ優れた民族だ」という極端な民族主義に走った結果、悲惨な戦争に突入していく悲劇が語られる。

つまりここで語られるのは、差別され続けた民族が、それゆえに極端な民族主義に突っ走る皮肉であり、『賎民』であるがゆえに自らを『選民』と思い込むという皮肉だ。

そして、長いあいだ地球人から差別され続けてきた宇宙の人々は、広場に集まり拳(こぶし)を天に突き上げて『ジーク・ジオン』(ジオンに勝利を!)と叫ぶ。
もちろんこれはナチスのスローガン『ジーク・ハイル』がモデルであるが、前述の通り『ジオン』がユダヤ民族主義を表す『シオン』から来ているとすれば、彼らは、ナチス風の軍服に身を包んで『ユダヤに勝利を!』と叫んでいる事になる。

ジオン=シオンである事に気づいたとき、「いやはや、これは皮肉の何重奏だよ」と私は思った。

抑圧されてきた側が、あれよあれよという間に今度は抑圧する側にまわり、善意と救済を意図していたはずのニュータイプ論が、人々を自滅へ走らせてしまう。

知っての通り、物語の主人公アムロ地球連邦軍の側に属する。
長いあいだ差別を受けてきたスペースノイド側ではなく、豊富な資源と圧倒的な国力を持ちスペースノイドたちを差別し続けてきた側である地球連邦側の、それも権力の中枢ではなく『体制内部の厄介者』的な視点で物語が進む。
それにより「長い被差別の歴史の果てに自ら民族主義に突き進む人々」「高邁な理想を掲げて大量殺戮を行う人々」に対し、あるていど客観視できる構造になっている。

人種に関して

人種に関して述べると、ガンダム・シリーズ全体で見れば、地球連邦・ジオン双方に様々な人種が居ると分かる。
恐らく宇宙世紀時代には、連邦・ジオンそれぞれの内部では人種間の融和が進んでいると思われる。

一説によると連邦軍総司令レビル将軍のフルネームは「ヨハン・イブラヒム・レビル」であるらしい。(ただし後付け設定の可能性あり)
ユダヤキリスト教の名とイスラム教の名の両方を持つ人間が軍の総司令である事は、地球連邦内部で人種間の融和が進んでいる証のようにも思われる。

しかし集団の内部で人種間の融和が進んでいたとしても、それ即(すなわ)ち一切の差別が無くなっている事を意味しない。
仮に集団内部で平等が実現されていたとしても、彼らが集団外部までをも差別しないという保証は無い。

例えばアメリカ軍の内部で人種間の差別が無かったとしても、彼らが(外部の存在である)ベトナム人を差別しなかったとは言い切れない。

東京に聖路加病院(英語名セント・ルーク病院)という施設がある。
第二次世界大戦中、東京大空襲に際して、アメリカ軍はこの聖路加病院周辺にだけは爆弾を落とさなかった。
この判断には、
「敵国人であろうとも、人種民族に関係なく、キリスト教徒は我が同胞である」という平等主義と、「異教徒なら民間人であろうと大量殺戮して構わない」という差別主義が奇妙に混在している。