ネタバレ! 小説と映画の感想‐青葉台旭

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初日の出を見た

初日の出を見た

記憶が正しければ、ちゃんと初日の出を拝んだのは、半世紀の人生で初めてだ。
実際に初日の出を見たら確かに心が洗われた、ような気がした。
世界と自分自身が新たに生まれ変わったような清々しさを覚えた。
なるほど、これが初日の出の御利益(ごりやく)か。

初日の出を拝むって、こんなに簡単だったんだね。
今日の今日まで気づかなかったよ。
現在、日本および世界の大半で使われている太陽暦グレゴリオ暦)に於いては、冬至から10日ほど後に年が切り替わる。
冬至とは、日に日に短くなっていった昼間の時間が底を打って再び伸び始める境目の日だ。
徐々に衰えていった古い太陽が役目を終えて西に沈み、新しい太陽に生まれ変わり再び力を取り戻して東から昇る日のことだ。
だからキリストの誕生日も冬至近くに設定され、新たな年の始まりも冬至近くに設定された。

冬至と元日は近い→1年で昼が最も短く夜が最も長い→すなわち元日の日出時間は遅い。

例えば2022年1月1日、東京の日の出は6:50。
大して早起きする必要もない。
7時ちょっと前までに、東に開けた海岸なり、高台の公園なり、ビルの屋上なりに行って東を向けば、水平線から、地平線から、あるいは高層ビルの向こうから徐々に昇って来る朝日を拝める。

もっとも、晴れていれば、の話だが。
冬場の関東地方(平野部)は晴れの日が多い。
しかしこの時期、曇りがちだったり雪が降っている地方もあるだろう。

それにしても、新年に昇る最初の太陽の光は、なぜこんなにも清々しく爽やかなのだろうか?
なぜこんなにも心洗われる気分になるのか?
けさ昇った太陽と、昨日の太陽や明日の太陽との間に、大きな違いがある訳じゃない。
ただ人間が勝手に作った暦の中で、今日が一年の始まりに設定されているだけだ。
にも関わらず、確かに、けさの朝日は私の心へ沁み入り、何かを洗い流して行った。

何事も気の持ちようと言うのなら、確かにその通りだろう。
『私自身の気の持ちよう』こそが私に対して最も強い力を持つ。

そして『今日は一年の始まりの日』という、社会全体が『とりあえず設定した』決まり事、『今日である事それ自体には意味のない』決まり事が、社会の構成員たる私個人の『気の持ちよう』に大きな作用を与えた。

一年の始まりが昨日であっても構わなかった。
一年の始まりが明日であっても構わなかった。
ただ、『今日こそが始まりの日だ』という共通の決め事が必要だった。
社会全体で共有され、構成員全員がそれに従って時計の針を合わせるという決め事が必要だった。
でなければ、一人一人がバラバラになり、社会が成立しないからだ。
そして、ひとたび何かが決まってしまうと、その『何か』は、(私が元日の朝日を特別と感じたように)社会の構成員一人一人の気の持ちように強い作用を与える。

これこそが『祭り事』(まつりごと=宗教)であり、『政り事』(まつりごと=政治)なのだろう。

新年、明けましておめでとうございます。
新たな年が、皆さんにとって良き一年でありますように。